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 大塚英志「サブカルチャー反戦論」を読了したので、学校に提出するレポートの内容を考えつつ感想を。後半一部はほとんど流し読みだったけど。


 感想としては、なんというか、作者と世間のずれとか、この本のある項がジュブナイル雑誌に突如現れた時の読者の(あったであろう)困惑なんかが印象深い。形式的なところにはレポートでつっこめないので、ここではそういったつっこみを入れて、レポートのほうで内容に対する意見をぐちぐちと述べようという魂胆である。実にせこい。
 この本の特徴は、「繰り返し」と「投げかけ」じゃないかと思う。基本的に前半部から後半の一部にかけて、ほとんど内容が同じだ。それは作者が批評家として、今まで果たされなかった判断材料を与えるとともに、僕たちにそこから自分の意見を持つよう呼びかけるものだ。執拗に同じことを繰り返し、僕たちに投げかける。言ってしまえば論文というよりはインターネット上の掲示板の書き込みに近いものがある。
 内容の方にも少し触れる。読むのに思いのほか時間をかけたので、正直細かく内容を把握していない。学校の課題なんて所詮そんなものである。途中から概要をメモしつつ読んだので、それを見て書くことにする。
 簡単に言えば内容はやはり反戦で、有権者の代表者として国民の意見を代弁する政治家への批判。筆者は、国民の代表としての国会議員が戦争を肯定し、イラク戦争への自衛隊派遣をすすめるということは、国民全体の意見としてそれを僕たちは受け止めないとならないのだと言う。イラク戦争に赴く、つまり間接的にしろ戦争という殺人行為にかかわることで、日本国民は殺人行為に関わったということを自覚しなければならない、ということらしい。たぶん。
 だけれど、そんな実感を僕らが、特に若者が抱けるかといえばそんなはずはない。ただ漠然と戦争への恐怖なんかを感じていようと、言葉にすることが難しいし、小泉総理のいわゆるワイドショー政治によって、耳に入ってくる言葉は戦争を肯定する理屈ばかり。反戦論者は誰の言葉を借りることもできず、ただ自分の中で無理やり納得してしまう。その責任の一端は文学や雑誌にあると筆者は言う。つまり、戦争を肯定するか否定するかは、両方を語る言葉を与えられてから本人が考えるべきことであり、一方的に、それも意図的に聞かされた偏った言葉で戦争を語ってはいけない、ということ……かな。正直、難しくて僕には手の遠い文章だった。

 最後に、どうでもいいことではあろうけど、僕が村上春樹の「海辺のカフカ」から何も感じ取れなかった理由がこれを読んで理解できた。責任は僕のほうにあり、あきらかにおろかなのは僕のほうだった。カフカのネタバレになるので言及はしないけど、最後のほうにあったカフカへの考察で、僕は自分の浅はかさを知った。あの2層に分けられた物語の意図や構図を全く理解していなかった。それは普通に読めば万人が皆わかる程度のことで、当然の帰結であるはずなのに、僕はとうとうあの二つの物語のつながりに気づくことのないまま読み終えてしまった。理由が下巻から読んでしまったことなのかはわからないけれど、悔しいので機会があったら巧妙に作られた文学をもう一度味わってみようと思う。
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