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 なぜ自分の思うことを人に伝えないのでしょうか。僕は、人に物を貸すのは嫌いなのだですが、それでも快く貸し出すのはその人の意見が聞きたいから。どう思って、どういうところが好みに合わず、どこが素晴らしいと思ったか。人がそういうことを語るのに頷くのが僕の楽しみなのです。
 だけれど、大半の友人は「普通」だとか「まあまあ」だとか。挙句の果には「好き」だ。何がだよ、どこがだよ。
 別にそれがいけないということではないけれど、僕には理解できない。
 最も親しい友人とは、意見が頻繁に食い違い、お互い主張を曲げないことがしばし。例えば「終わりのクロニクル」というライトノベル作品を僕が彼に貸して、読後感想を言い合ったところ、彼は大筋も面白く、退屈せずに通して読めたらしい。僕は、Gを巡る話は強引でしかも退屈。交渉や戦闘、そしてギャグを楽しむことはできたがそれ以外はたいしたものではないと言ったのです。
 
 僕にとっての、友人の価値とは、鑑賞物を貸して、それが返ってきたときに問う「どうだった?」への返答で決まります。
 
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コメント
何故ベストを尽くさないのか
他人の感想を聞くことで自分の作品への理解を深めつつも意見交換のできるような環境を望んでいるということでしょうか。
私は、面白かったつまらなかっただけでもいいのですけど、最悪なのが、友人が「乙一読みたい」と言い出したので「暗いところで待ち合わせ」を貸してみたところ、いざ返ってきて「どうだった?」と聞くと「読んでへん」というレスポンス。なんだそらっていう。

ちなみに、何が面白かったつまらなかったというのを意識せずに読んでいる人は多そうです。なんとなく、あんな感じで面白かったってのは言葉にできるけれど、いざ言葉にするとなると難しい。いつも読書感想書くときに思います。
【2006/07/14 13:50】 NAME[春宮] WEBLINK[] EDIT[]
何故ペストは流行ったのか。
 僕は自分の感想が偏ったものだと認識しているので、他人の意見を聞いてみないと不安だというのもあったりします。
 自分では理解できないけど世間での評価が高いものなんかは、もっぱら友人の賞賛派に意見を聞いて、なるほどなるほど、と楽しみ方を学んでから読んだりします。ここがこう楽しい、と言われてから読めば、なんとなくわかった気分になれないでもない。
 あとどうでもいいことですが、何回も作品について話をすれば、お互い内容なんかを思い出すことも多くなって、同じイメージを共有することができるので、それを使って笑いのネタにすることができるというのも……。相手がそれを確実に知っているという確信がないと面白くないギャグってあるじゃないですか。

>読んでへん

 読みたいのか読みたくないのか……。ちなみに僕の友人が「乙一読みたい」と言うので貸して、返ってくるまでに一年かかりました。

>いざ言葉にするとなると難しい 

 純文学作品は特にそれが激しと思います。

【2006/07/14 15:47】 NAME[黒の騎士] WEBLINK[] EDIT[]


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