なぜ自分の思うことを人に伝えないのでしょうか。僕は、人に物を貸すのは嫌いなのだですが、それでも快く貸し出すのはその人の意見が聞きたいから。どう思って、どういうところが好みに合わず、どこが素晴らしいと思ったか。人がそういうことを語るのに頷くのが僕の楽しみなのです。
だけれど、大半の友人は「普通」だとか「まあまあ」だとか。挙句の果には「好き」だ。何がだよ、どこがだよ。
別にそれがいけないということではないけれど、僕には理解できない。
最も親しい友人とは、意見が頻繁に食い違い、お互い主張を曲げないことがしばし。例えば「終わりのクロニクル」というライトノベル作品を僕が彼に貸して、読後感想を言い合ったところ、彼は大筋も面白く、退屈せずに通して読めたらしい。僕は、Gを巡る話は強引でしかも退屈。交渉や戦闘、そしてギャグを楽しむことはできたがそれ以外はたいしたものではないと言ったのです。
僕にとっての、友人の価値とは、鑑賞物を貸して、それが返ってきたときに問う「どうだった?」への返答で決まります。
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