少し前に、とある場所のチャットで荒らしさんというか、なんだかおかしな人とそれにからまれて怒った人の会話を眺めていた。
なんか人の発言すべてに「ぼけ」「しね」などとコメントをつける方だったので、最初は無視の雰囲気だったのだが、一人耐えられなかった人が「お前がしね」と返した。なんで口調が同レベルなんだろう。
その後どうでもいいレベルの低さの罵り合いが続いた。こういう時、煽られてそのまま怒って喚く人と、冷静に無視する人と、冷静ぶって変にきどった口調で割って入る人がいる。
掲示板なんかで荒らしな書き込みがあって、それを注意したり、真に受けて喧嘩を始める人なんかが、いるのだけれど、彼等の気持ちも凄くわかる。どんなに相手が幼稚で、語彙の少なさを露呈しているような人物でも、悪意のこもった「しね」だとか「馬鹿」だとかは、頭にくる。というか、頭にきた。
その後どうしたかと言えば、結局喧嘩している二人が飽きていなくなるまで黙っていた。皮肉をいったって、なだめたって、何をいっても相手が改心なんてしないことはわかっているのだから。そして、自分がそう気の長いほうではないとわかっているから。せいぜい冷静なフリでもして黙っていた。
だからどうという話ではないんだけど、そういう話。荒らす人と対応する人。そして掲示板だと、荒らしとそれへの対応を見た人が「荒らしは無視がマナーですよ」だとかのたまうのだけれど、実際にその場で貶されてみると、無視って一番難しい。一言、皮肉った文章でも残したくなるし、それでなくとも自分の中にある怒りを偽りの正義感へと変換して注意してみたくもなる。でもそこで、自分に、それだけの行為をする人の心を変えられるほどの能力があるのか、自問自答できるっていうのが、大切なんじゃないかなあ。
無視がマナーだけど、無視できない気持ちも凄く分かる。マナーなんてあってないようなものですよね。
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